-nil-/極彩色無から極彩色への染
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れをるの1stフルアルバム『極彩色』は、表題曲ではなく、ギガによる36秒のインストゥルメンタル「-nil-」から始まる。
「nil」は、無を意味する言葉。
心臓の鼓動を思わせる音に続いて、木琴のような優しい高音が響き始める。それと同時に、ミュージックビデオでは蝶が飛び立つ。
曲の終盤には次曲「極彩色」のイントロが入り込み、明確なアウトロを挟まず、そのまま移り変わっていく。二曲の境界をほとんど感じさせない構成だ。
実際、「極彩色」のミュージックビデオには「-nil-」も含まれ、ひと続きの映像作品として表現されている。
何もないところから鼓動が聞こえ、生命が動き始める。そして、まだ何色にも染まっていなかった世界に、少しずつ色が加わっていく。
『極彩色』は、そんな生命の始まりを思わせる音と映像から幕を開ける。
無から生まれ、無へ戻る
2015年の音楽ナタリーのインタビューで、れをるは「-nil-」の冒頭と、最終曲「染」のアウトロに同じ鼓動を入れた理由を説明している。
無から鼓動が生まれ、生命が誕生する。その生命がアルバムを通してさまざまな色に染まり、最後の「染」で染まったあと、心臓の鼓動とともに再び無に戻る。
れをるは、この一連の流れを人生にも重ねていた。
つまり『極彩色』は、色鮮やかな楽曲を集めただけの作品ではない。生命が生まれ、さまざまな経験を重ねていく過程を、色彩によって表現したアルバムでもある。
この構想を知ると、冒頭の鼓動や蝶が飛び立つ映像にも、生命の誕生という意味が重なってくる。
「-nil-」が終わるのを待たずに「極彩色」の音が入り込む。そのつながりにも、生まれたばかりの生命が色づき始める様子を感じる。
君だけは君自身の味方であれ
「-nil-」から切れ目なく移り変わる表題曲「極彩色」は、れをるが作詞し、ギガが作曲・編曲を担当した楽曲だ。
歌詞には、何を信じればいいのかわからない世界で、それでも今を生き、自分自身を信じようとする強い意志がある。
れをるは当時のインタビューで、作詞においてヒップホップの「パンチライン」を意識していたと話している。聴き手の心を強く捉え、共感を呼ぶ言葉のことだ。
そして「極彩色」で最も伝えたかったのが、2番のサビ直前に置かれた「君だけは君自身の味方であれ」という言葉だった。誰かを励ますためではなく、自分自身を奮い立たせるイメージで書いた歌だと説明している。
この言葉には強く惹かれる。
自分ではどうにもできないことが多い世の中で、何が正しいのか、どちらへ進めばいいのか、わからなくなることもある。
そんなときでも、せめて自分自身だけは、自分の味方でありたい。
迷いをなくすのではなく、迷っていても自分を見捨てない。その姿勢に、この曲の強さを感じる。
「-nil-」で生まれた生命が、これからさまざまな色に染まっていく。その入口に、自分自身の味方であれという言葉が置かれていることも印象深い。
れをるは、サビには曲名にふさわしいきらびやかな言葉を使いたかったため、最も伝えたいメッセージをその直前に置いたとも説明している。
華やかなサビの手前に、自分自身へ向けた切実な言葉がある。この配置によって、曲の鮮やかさにも違った深みが生まれているように思う。
4人の表現が重なって生まれる極彩色
『極彩色』という作品が生まれるまでにも、さまざまな表現が重なっている。
ギガの音楽、望月けいのイラスト、お菊の映像、そしてれをるの言葉と歌声。
アルバムの色彩というテーマを考えるきっかけになったのは、望月けいが公開していた水彩画だった。れをるはその絵を見てテーマを決め、ジャケットのイラストも望月けいに依頼した。
さらに、れをる・ギガ・お菊の3人による楽曲を「白」とし、ゲスト作家たちの楽曲には、それぞれイメージカラーを設定する構想があった。
異なる作家の個性を色に見立て、それらを重ねて一枚のアルバムにする。
その制作方針も、生命がさまざまな色に染まっていくという作品全体の構想と重なっている。
表題曲の制作では、ギガも試行錯誤を重ねていた。
「極彩色」という強い言葉から、シンセサイザーのギラギラした音を取り入れ、ジャケットのエスニックなイメージに合わせて、シタールのような民族楽器も混ぜた。表題曲としての重圧もあり、メロディーは3、4回書き直している。
こうして生まれた音楽に、れをるの言葉と歌声が重なり、お菊の映像によって絵が動き出す。
同じインタビューで、ギガはお菊について、曲の中では目立たない音まで拾い上げ、その音に合わせて映像を作ってくれることを評価していた。絵が動くことで、それまで目立たなかった音も聴こえてくるという。
「-nil-」で優しい高音に合わせて蝶が飛び立つ場面にも、その関係を感じる。
音に絵が添えられているだけではない。絵が動くことで音への気づきが生まれ、その音が蝶の動きに生命を感じさせる。
音楽、イラスト、映像、歌と言葉。それぞれの表現が重なって一つの世界になる。その制作のあり方自体も、無から色づいていく『極彩色』の構想と重なって見える。
また、お菊は「極彩色」のミュージックビデオに、それまで3人で制作してきた作品の一部を織り込んでいる。そこには、過去の活動を振り返りながら、次の段階へ進もうとする思いがあった。
れをるからREOLへ、その間にある作品
『極彩色』の位置づけを考えるうえでは、当時の活動の変化も欠かせない。
2014年には、サークル「あにょすぺにょすゃゃ」名義で自主制作アルバム『No title』を発表。その翌年、れをる名義で『極彩色』をリリースした。(billboard-japan.com)
そして2016年には、れをる・ギガ・お菊の3人がユニット「REOL」として活動を開始し、『Σ』を発表する。2017年のユニット解散を経て、2018年にはソロの「Reol」として再始動した。(victor-store.jp)
- 2014あにょすぺにょすゃゃ『No title』
- 2015れをる『極彩色』
- 2016REOL『Σ』
- 2017ユニット解散
- 2018Reolソロで再始動
その流れの中で、『極彩色』は何を区切り、何を始めようとしていたのだろうか。
れをるは2016年のReal Soundのインタビューで、『極彩色』を歌い手や二次創作の活動に一区切りをつける作品として制作していたと振り返っている。制作時点で、すでに次の段階へ進むことを考えていた。(realsound.jp)
もちろん、それ以前にも3人はオリジナル楽曲を作っていた。ただ、れをるの中では、他人の曲を歌うことに加え、自分の言いたいことを曲にして、自分で歌って表現したいという思いが大きくなっていた。2015年のインタビューでも、その変化を語っている。
そうした思いを、全曲書き下ろしのフルアルバムとして形にしたのが『極彩色』だった。
れをる名義の作品でありながら、ギガの音楽とお菊の映像も欠かせない。れをる自身も当時、自分が表に立つことで二人の活動を見てもらいたいと話し、作品に触れれば3人とも主役だとわかると語っている。
『極彩色』は、あにょすぺにょすゃゃとして積み重ねてきた創作を受け継ぎ、れをる自身の表現を打ち出しながら、3人組のREOLへと進んでいく、その間に位置する作品なのだ。
過去の作品を織り込んだMVも、懐かしさだけのために作られたものではない。これまでの活動を残しながら、新しい表現へ進もうとしている。
その転換期に、自分自身の味方であれと歌ったこと。そして、のちに活動の形を変えながらも、Reolがこの曲を歌い続けていること。その両方を思うと、歌詞にも違った重みが感じられる。
活動10周年、武道館の一曲目に
2024年8月17日、Reolは初の日本武道館ワンマン「No title」を開催した。自主制作アルバム『No title』の発売から、ちょうど10年にあたる公演だった。(lp.p.pia.jp)
その最初に歌われたのが「極彩色」だった。
そして武道館でも、「-nil-」から「極彩色」へとつながっている。
2015年のアルバムで生命の始まりを表現した二曲が、9年後には、活動10周年を迎えたライヴの幕開けを担っていた。
『極彩色』は、歌い手としての活動に区切りをつけ、自分自身の表現へ踏み出そうとしていた時期の作品だ。その曲を、10年間の歩みが集まる武道館公演の最初に持ってきたことが心に残る。
自分を奮い立たせるために書いた言葉を、今度は武道館に立つReolが歌う。
活動の形も、歌う場所も変わった。それでも、新しい一歩を踏み出そうとした頃の曲が、この節目の入口に置かれている。
さらに、この公演のイントロダクションには『No title』の「-Ending-」が使われ、終わりには「-Opening-」が置かれていた。(reol.jp)
「-Ending-」から始まり、「-Opening-」で終わる武道館。そして、「染」を聴き終えたあと、再び「-nil-」へ戻る『極彩色』。
日本武道館「No title」(2024)
『極彩色』(2015)
選曲の意図を断定することはできないけれど、どちらにも、終わりを次の始まりにつなげる構成を見いだせる。
「極彩色」は、初期の代表曲というだけではない。これまでの活動を振り返りながら、次へ進もうとする場面にもよく似合う曲なのだと思う。
アルバム全体を染める色
『極彩色』というコンセプトは、アルバム全体の歌詞にも見いだせる。
赤や青、白や黒といった直接的な色名だけでなく、光、闇、影、黄昏まで含めて読むと、曲ごとに異なる色彩が浮かんでくる。
「水底游歩道」に描かれる青や白、灰、黒。「Syrup」の薄紅や虹色。「ラ・タタン」の白黒とトワイライト。色名をそのまま使う曲もあれば、光の移り変わりによって色を感じさせる曲もある。(uta-net.com)
- 水底游歩道
- 青白灰黒
- Syrup
- 薄紅虹色
- ラ・タタン
- 白黒トワイライト
そこで描かれる景色や感情は、曲ごとに異なっている。
明るく鮮やかな色ばかりではない。暗闇や影もまた、アルバムの色彩を形作っている。
無から始まった生命が、さまざまな経験を通して染まっていく。その経験には、喜びだけでなく、迷いや痛み、孤独や別れも含まれる。
そう考えると、『極彩色』は、美しい色を集めただけの作品ではなく、異なる感情や経験が重なり合う様子を描いた作品としても読める。
インストゥルメンタルでは音や構成を、歌のある曲では言葉に描かれた色や明暗をたどる。一曲ずつ聴き進めることで、アルバムの色彩も少しずつ違って見えてくる。
再び「-nil-」へ
「-nil-」の冒頭で響いた鼓動は、最終曲「染」のアウトロにも現れる。
れをるが語ったのは、無から生まれた生命がアルバムを通してさまざまな色に染まり、最後に再び無へ戻るという構想だった。
「染」でアルバムが終わり、もう一度「-nil-」から聴き始めれば、同じ鼓動が再び響く。
最初の36秒は、アルバムの幕開けであると同時に、一巡したあとで戻ってくる場所にもなっている。




