「ハルシアン」を聴いていると、背伸びをして大学生の彼氏と付き合っている、高校二年生の女の子が浮かんでくる。
歌詞で年齢や相手の立場が指定されているわけではないけれど、そのくらい具体的な姿を思い描きたくなる。強気な言葉も、甘えも、自分の幼さをわかっていながら引けなくなるところも、妙にリアルなのだ。
2015年のアルバム『極彩色』の5曲目に収録されたこの曲は、れをるが作詞・作曲を、ギガがトラックを手がけている。(公式作品情報)
甘えたいけど、甘く見られたくない
歌詞には購買や部活、期末テストといった、学校生活の言葉が並ぶ。その一方で、好きな相手に自分を見てほしいと願い、子ども扱いされることには反発する。
ここに年上の彼氏との恋愛を重ねると、その背伸びが身近に感じられる。
彼の知っている世界に自分も入りたいし、対等に扱ってほしい。大人っぽく振る舞おうとして、うまくいかないこともある。それでも、まだ子どもだからと軽く見られるのは嫌だ。
期末テストと比べるくだりにも、彼女なりの切実さがある。学校で求められることより、今は彼との関係のほうがずっと大事なのだろう。本人にとっては本気の恋なのだから、その気持ちまで小さく扱われたくない。
けれど、抱きしめてほしいし、わがままも受け止めてほしい。甘えることと、対等でいること。その両方を好きな相手に求めてしまうところに、この女の子らしさを感じる。
言い負かしても、埋まらない差
とくに好きなのが、この一節だ。
もう結構 やりこめて劣等
相手をやり込めたのに、残るのは劣等感。このつながりに、背伸びした恋愛の難しさが見える。
自分の言い分は通った。けれど、本当は相手が折れてくれたのだと、どこかでわかっている。彼には引く余裕があり、自分にはそれがなかった。言い負かしたつもりの相手に、また大人としての差を見せられてしまう。
結局、子どもなのは自分だ。
そこまでわかっていても、プライドが先に出てしまう。好きな人の前だからこそ認めてほしいし、簡単には引き下がれない。自分の幼さに気づくことと、それを抑えられることの間には、まだ距離がある。
そんなお年頃の感情が、この短い一節によく表れていると思う。
言葉が、そのまま舌打ちになる
もう一つ好きなのが、「舌打ち」の最後の「ち」を、本当の舌打ちの音に置き換えているところだ。
言葉で描いていた不機嫌が、そのまま仕草になる。女の子のむっとした表情まで浮かぶようで、こういう細かな遊び心が楽しい。
この曲の英語表記は「Halcyon」。穏やかさや幸福を表し、過去の良き日々を懐かしく振り返るときにも使われる言葉だ。(Apple Music/Merriam-Webster)
「青春」を「アオハル」と読むように、「ハルシアン」の「ハル」を春、「シアン」を青系の色として受け取ってみる。「Halcyon」と「cyan」で綴りは違うけれど、カタカナでは同じ「シアン」になる。すると、ハル・シアンは春・青。青春の二文字が、逆の順番に並ぶ。
れをるの命名意図として確かめられたものではないけれど、このひっくり返った青春に、素直になれない彼女の姿を重ねたくなる。甘えたいのに反発し、好きだからこそ強がってしまう。自分の幼さに気づいても、意地を張ることをやめられない。「ハルシアン」という曲名が、そんな気持ちまで表しているように思える。
当時の本人には、恋もプライドも切実だった。そんな日々も、振り返れば青春と呼べるのかもしれない。
あの舌打ちには、相手への不満と一緒に、思うように大人になれない自分への苛立ちも重なって聴こえる。



