水の底に道があり、そこを歩いていく。

「水底游歩道」を聴いていると、どこか夢の中を漂っているような感覚になる。歌詞に描かれる風景が何を意味しているのか、すべてを説明できるわけではない。それでも、わからないまま、この幻想的な世界に浸っていたくなる。

『極彩色』の4曲目に収録されたこの曲は、かめりあが作詞・作曲・編曲を担当し、れをるが歌っている。(公式作品情報)

夢の中へ差し込む現実

歌詞では、水中へ降り注ぐ日差しが青く染まり、月の色も白から灰、黒へと変わっていく。光や色が移り変わる景色の中を、さらに深く、静かな場所へ進んでいく。

途中には、液晶が夜の静けさを破り、薄明かりの中で目を覚ます場面もある。そのあとにも水底の道は続き、朝を急かすことや夢の中の苦しさを、水に浮かべて忘れようとする描写へ戻っていく。

こうした描写をたどると、水中へ差し込む日差しも、夢の外から近づいてくる現実の気配のように感じられる。

うっすらと目が覚めそうになり、遠くにあった日常を意識し始める。頭が少しずつ回り始めると、気にかかっていたことや、考えたくなかったことまで戻ってくる。

まだ夢の中にいたいのに、朝が近づいている。

その不安や嫌気に蓋をするように、もう少し深い水底へ進みたくなる。ここでは、光が差すことが、そのまま救いや安心につながるわけではない。むしろ、その明るさから距離を取りたくなる。

現実を感じかけながら、もう一度夢の奥へ潜っていく。そんな夢と覚醒の間を行き来するような感覚が、この曲にはある。

わからないまま、そこにいる

この曲では、言葉や手紙も、水に濡れ、滲み、やがて溶かされていく。

何が書かれていたのか、誰に向けたものなのか。その一つひとつを特定するより、はっきりしていたものの輪郭が曖昧になっていく感覚を、そのまま受け取っていたくなる。

水の底に游歩道があるというのは、現実ではそうそう出会わない景色だ。さらにそこを歩くという体験は、実際にはあり得ないと言っていい。けれど、夢の中なら不思議と受け入れられる。そこがどんな場所で、どうして歩けるのかを確かめるより、ただその世界にいることのほうが自然に感じられるのだ。

「わからないことが正解」というのは、何も感じ取れないという意味ではない。

どこからが夢で、どこまでが現実なのか。水底は何を表しているのか。答えを決めなくても、そこを漂う心地よさや、現実に引き戻されそうになるときの嫌な感じは伝わってくる。

その感覚まで、一つの意味へまとめなくてもいいのだと思う。

現実から離れて、自分の奥へ

ただ、この水底へ向かうことを、現実からの逃避だけとして聴いているわけでもない。

外の世界が遠ざかるほど、自分が何を感じているのかに深く浸れる。目覚めかけた頭に押し寄せてくる不安とは別に、まだ言葉にならない感覚やイメージを、そのまま感じていられる。

誰かに伝えるために整理したり、理解してもらうために説明したりしなくていい。そういう孤独には、寂しさだけではない心地よさがある。

ここで連想するのが、後年にReol自身が詞を書いた「TAKE OFF」だ。創作の際には外の世界や時間から解脱して一心不乱に没頭する姿が、その歌詞には描かれている。(歌詞)

「TAKE OFF」を聴くときに感じる、孤独で崇高な創造の世界。自分の感覚に没頭し、外からの説明や評価を必要としない時間。かめりあが詞を書いた「水底游歩道」にも、聴き手として、その感覚に通じるものを感じる。

もちろん、この水底を創作の場所だと決めてしまいたいわけではない。夢の中でも、心の奥でも、名前のつかない場所でもいい。

そこでは何も感じなくなるのではなく、むしろ、もっと深く自分の感覚へ入っていくように聴こえる。

現実から離れるほど、自分の感覚には近づいていく。

「水底游歩道」の水底には、そんな居心地のよさがある。