あ可よろし苦しくても、前だと言い切るために

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『虚構集』は、「エンド」で始まり、「あ可よろし」で終わる。

この曲順には、何度聴いても心を動かされるものがある。

過去の自分を葬り、新しい一歩を踏み出そうとする「エンド」。他人の視線や人間関係への苦しさを抱えた「平面鏡」。逃避行の中で、自分からは逃げ切れない「ミッシング」。信仰と執着の中で、赦せない苦しさを抱えながら立ち直ろうとする「カルト」。

どの曲にも、簡単には割り切れない感情がある。

そんな暗中模索の四曲を経て、最後に「あ可よろし」という光が差し込む。

だから、この曲が持つ希望は、単なる前向きな言葉には聞こえない。

辛さも迷いも、ここまでの四曲で十分すぎるほど描かれてきた。そのすべてを抱えたうえで、それでも前を向こうとする歌なのだと思う。

最後に残したかった希望

「あ可よろし」は、2018年3月14日発売のミニアルバム『虚構集』の最終曲。作詞・作曲をReol、編曲をクラムボンのミトが担当し、ギターにはNARASAKIも参加している。

『虚構集』XFD
『虚構集』XFD の「あ可よろし」(2:24〜)を観る

題名の「あ可よろし」は、花札の赤短に書かれた言葉で、「素晴らしい」という意味で知られている。

語源には諸説あるが、「明らかに宜しい」が転じたものとする説もある。単に良いというだけでなく、疑いようもなく良いという、強い肯定の響きを持つ解釈だ。

花札「梅に赤短」「明らかに宜しい」が転じたとする説も(語源は諸説)

Reolは当時のインタビューで、この言葉の意味を知って気に入ったことを明かしている。

そして『虚構集』を締めくくるにあたり、最後に残るものが希望であってほしいと願い、この曲を選んだ。

希望に満ちあふれていたから、希望の歌を書いたわけではない。

REOLの解散を経て、Reol自身が不安や苦しさを抱えていた時期に生まれた曲だ。

音楽ナタリーのインタビューでは、自分を支えてくれる新しい人々との出会いだけでなく、かつてのユニットの二人にも明るい未来があってほしいという思いを明かしている。

「エンド」で過去の自分を葬ったReolが、最後には、その過去を共に歩んだ人たちの未来まで願っている。

そう考えると、「あ可よろし」が『虚構集』の最後に置かれていることは、特別な意味を感じさせる。

いつか、虚構になるように

そもそも『虚構集』という題名にも、切実な願いが込められている。

Reolは当時のインタビューで、かつて本心から歌っていた言葉が、時の流れによって結果的に嘘になってしまった経験を振り返っている。

REOLが長く続いてほしいという願いも、当時は紛れもない本心だった。しかし、解散という現実によって、その言葉は叶わなかった。

それならば、今抱えている苦しみも、いつか嘘になってほしい。

そんな願いから生まれたのが『虚構集』という題名だった。

今の苦しみが偽物なのではない。いつか振り返ったとき、あんなにも苦しかった日々が信じられなくなるような未来を願っている。

『虚構集』という作品全体の根底には、彼岸花というモチーフがある。

Reolは当時、自分の置かれた境遇を地獄と表現し、その心境を作品全体に重ねていた。

そんな彼岸花の赤が彩る世界を抜けて、最後に「あ可よろし」という光が差し込む。その構成にも、暗闇の先に希望を残そうとしたReolの願いが感じられる。

苦しさを吐き出し、迷い、呪い、逃げ、それでも生きていく。

いつの日か、その苦しみが過去のものになるように。そして、その先に素晴らしい未来が待っているように。

『虚構集』の最後に差し込む光は、そんな祈りのようにも感じられる。

自分が向いている方角こそ

「あ可よろし」の歌詞には、目まぐるしく変わる街の景色や、人との関係に振り回される日常が描かれる。

何もかもが思いどおりに進むわけではない。自分の気持ちさえ定まらないこともある。

それでも、この曲は、自分が向いている方角を前だと信じて進もうと歌う。

そして終盤では、その方角を前だと言い切る言葉へと変わっていく。

ここが、何度聴いても胸に響く。

私たちは、何かを決断するとき、これが正しい道なのかと考えてしまう。今の選択が間違っていたらどうしよう。もっと別の道があるのではないか。

この曲は正しい方角を教えてくれるわけではない。

どちらへ向かうべきかを他人に決めてもらう必要もない。

自分が向いているその先を、前だと言い切っていい。

それは未来の成功を約束する言葉ではなく、不安なままでも自分の選択を肯定するための言葉なのだと思う。

「明らかに宜しい」という語源説も、この歌詞を思い浮かべると違った響きを持つ。

本当に正しい道なのかはわからない。それでも、自分が進むその先を肯定し、前だと言い切る。

その強さが、「あ可よろし」という題名にも重なるように感じる。

Reol自身も、この歌詞を自分に言い聞かせるために書いたと振り返っている。

迷いを知らない人が、迷っている人を励ましているのではない。自分も苦しみ、迷いながら、それでも前へ進もうとしている人の言葉なのだから。

悲壮感の中にある希望

この曲の音作りにも、単純な明るさだけでは語れないものがある。

Reolが目指していたのは、ノイジーで悲壮感のある音楽だった。

デモを聴いたミトは、そこにシューゲイザーとの共通点を感じ取った。シューゲイザーは、歪んだギターの轟音や深い残響を特徴とする音楽ジャンルだ。

そこでギターに迎えられたのが、シューゲイザーを軸に多彩な音楽性を展開するCOALTAR OF THE DEEPERSのNARASAKIだった。

こうした制作の経緯からも、Reolが求めていた音の方向性が見えてくる。

最後に希望を残したいと願いながら、その音楽には悲壮感を求めていた。

この組み合わせに、「あ可よろし」の音楽的本質があるように感じる。

苦しい現実が消え去ったから、明るくなれるわけではない。

辛い気持ちを抱えたままでも、希望を持つことはできる。

「あ可よろし」の言葉が心に刺さるのも、明るさだけで痛みを塗りつぶそうとしていないからなのだろう。

そして、その希望の表現は、時を経て新しい姿へと変わっていく。

2025年11月9日の横浜アリーナ公演『無題』で、「あ可よろし」は新たなアレンジで披露された。

よりポジティブに、もっと力強く演奏できるのではないか。そんな思いから、Reolはサポートメンバーたちと時間をかけてアレンジを作り込んでいた。公演を振り返る動画では、その制作過程が語られている。

2018年、最後に希望を残したいと願いながらも、音楽には悲壮感を求めていたReol。

それから7年の時を経て、今度はその希望を、仲間たちと一緒にもっと力強く響かせようとしている。

かつての苦しみが消えてなくなった訳ではない。それでも、満身創痍の中で搾り出した優しさが、時を経て、より力強い肯定として奏でられている。

そう考えると、『虚構集』という題名に込められた願いも思い出される。

あの頃の苦しみがいつか嘘になってほしいと願ったReolが、今では同じ歌に新しい響きを与えている。

かつての悲壮感も、今の力強さも、どちらも「あ可よろし」なのだと思う。

何年経っても、救われる歌

「あ可よろし」は、聴くときの自分の状況によって、歌詞の響き方が変わる曲でもある。

いつも聴いているはずなのに、何気なく聴き流していた言葉が、ある日突然、驚くほど深く胸に刺さることがある。

『虚構集』を通してReolは、心身が二分されるような葛藤を、さまざまな角度から表現してきた。

過去との決別を願いながら、割り切れない感情に苦しむ。逃避行の中で、自分自身からは逃れられない。誰かを信じたいのに、赦すことができない。

そんな矛盾を抱え、傷つきながらも進もうとしてきたReolだからこそ、最後に歌われる、自分が向いている方角を前だと言い切っていいという言葉には、これほどの力が宿るのだと思う。

迷いや苦しさを知らない人が、気軽に前を向けと言っているのではない。

満身創痍の中で、それでも自分を肯定しようと、ようやく搾り出した優しさなのだ。

そして、その自分自身へ向けた優しさが、今度は聴いている私たちへと届く。

辛いとき、そっと寄り添ってくれる。立ち止まってしまいそうなとき、自分が向いているその先を前だと言い切っていいのだと、背中を押してくれる。

Reolが苦しみの中で見つけた言葉は、時を経ても色褪せることなく、リスナーの心を強かに癒し続けている。

『虚構集』が最後に残してくれたのが、この曲で本当によかった。