平面鏡あまりにも美しい呪いの歌
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「あたしの新しい始まりの歌、呪いの歌」。
2018年の全国ツアー『MADE IN FACTION』で、「平面鏡」を歌う前にReolが告げた言葉だ。
このライヴ映像がたまらなく好きだ。
そこにあるのは、禍々しいほどの呪いの世界。それなのに、あまりにも美しい。
苦しさや怒り、不信といった感情が、ただ激しい言葉として放たれるだけではない。その感情を抱えたReol自身がステージに立ち、一つの美しい世界を作り上げている。
禍々しさが美しさを損なうどころか、むしろその美しさを際立たせているように感じる。
今の言葉で表すなら、まさしく「うつくしじごく」だ。
「平面鏡」は2018年1月9日に発表された、Reolのソロ再始動後最初の配信シングル。同年3月14日発売のミニアルバム『虚構集』にも収録され、作詞・作曲をReol、編曲をGigaが担当した。
ユニットREOLの解散を経て、最初に世へ送り出された楽曲が「呪いの歌」だった。そのことに、今も強く惹かれる。
新しい始まりに選んだ呪いの歌
「平面鏡」の歌詞には、他人の評価に振り回される息苦しさがある。
冒頭に現れるダーツの的。誰かが決めた基準に当てはまることを求められ、外見や性格まで採点される世界。
Reolは当時のインタビューで、ダーツの的を凝視すると周囲がぼやける体験を、つらいときに視野が狭くなる感覚へ重ねたと説明している。
SNSでの評価を気にするあまり、本当に言いたいことを言えなくなる状況も、この曲の背景にあったという。
そして、繰り返される「大丈夫」は嘘だと歌われる。
平気ではないのに平気なふりをする。理解してほしいのに、理解されることが怖くて願いを引っ込めてしまう。
その感情は、やがて一人の「君」へと向かう。
他人との関係を知り、つながりを断ち切っても、記憶は消えない。大勢の視線に苦しんでいた語り手が、最後にはたった一人にわかってほしかったと訴える。
そこにあるのは、誰かを拒絶する気持ちだけではない。拒絶しながらも、理解を求めずにはいられない苦しさだ。
届かない思いを呪いの歌と呼びながら、それでも誰かに届いてほしいと願っている。
だから、単なる怒りの歌としては聴けない。
新しい始まりを宣言する歌なのに、晴れやかな決意だけではなく、割り切れない感情をそのまま抱えている。
『MADE IN FACTION』のライヴ映像があれほど美しく感じられるのも、そうした感情が隠されず、表現として昇華されているからなのかもしれない。
平面鏡が映す、一つの姿
以前から、題名の「平面鏡」にも引っかかるものがあった。
普通、鏡といえば平面鏡を思い浮かべる。それなのに、あえて「平面」と付けているのはなぜなのだろう。
平面鏡が映すのは、一つの位置、一つの角度から見た姿だ。
けれど、人には他人に見せる顔もあれば、誰にも見せられない感情もある。その一面だけを見て、すべてを理解したつもりになることはできない。
そして、そこから三面鏡を連想した。
三人で活動していたREOLから、一人のReolへ。
三面から一面へと変わったことまで、題名に重なって見えてくる。
もちろん、Reolがその意味を込めたと断定したいわけではない。本人は別のインタビューで、この曲を解散とはあまり関係なく、東京の雑多さや人々の思惑へのストレスから書いたと説明している。
それでも、三人だったREOLから一人のReolになり、新しい始まりを「呪いの歌」として宣言する姿を見ていると、どうしてもこの題名に立ち止まってしまう。
平面鏡からカルトへ
2018年の『MADE IN FACTION』では、「平面鏡」の次に「カルト」が披露されていた。
「カルト」は、信仰や執着、誰かを信じずにはいられない心を扱う曲だ。
仏教の経文を思わせる言葉も登場し、すべてを赦せる存在ではない人間の葛藤が描かれる。
Reolは、無宗教であっても人は家族や恋人など、何かを信じてすがっていると説明している。
この二曲が続くと、「平面鏡」にあった不信や孤独が、「カルト」の信仰と執着へ流れ込んでいくように感じられる。
わかってほしいのに、わかってもらえない。信じたいのに、信じられない。それでも何かにすがらずにはいられない。
「平面鏡」から「カルト」へと続くことで、呪いの世界がさらに深まっていく。
あのライヴ映像の禍々しい美しさを思うと、この二曲の並びにも強く惹かれる。
ただ恐ろしいのではない。人間の弱さや醜さまでさらけ出すことで生まれる美しさがある。
あのステージで感じたのは、そんな世界だった。
「無題」で変わった、呪いの歌の行き先
それから7年後の2025年11月9日。
横浜アリーナ公演『無題』で、「平面鏡」は再び重要な位置を占めた。
新曲「美辞目録」で幕を開け、2曲目に披露されたのが「平面鏡」。
そして演奏直後、Reolはそれまで「無題」だった公演に「美辞学」という名前を与えることを明かした。
その「平面鏡」の次に披露されたのが、「十中八九」だった。
2018年の『MADE IN FACTION』では、「平面鏡」から「カルト」へ。2025年の横浜アリーナでは、「平面鏡」から「十中八九」へ。
この違いが面白い。
「十中八九」も2018年に発表され、『MADE IN FACTION』でも披露されていた曲だ。新しい曲に置き換わったわけではない。変わったのは、「平面鏡」の次にどの曲が置かれたかということだ。
「カルト」が信仰や執着、赦せない人間の感情を描く一方、「十中八九」は旧約聖書『創世記』の天地創造をもじった言葉から始まる。
世界を創造した神のような視点から、人間の愚かさや欲望を皮肉る。七日間の創造を思わせる歌詞は、最後に「八日目」を問いかける。
どちらも宗教的なモチーフを扱っているのに、見つめている方向が違う。
「カルト」では、人間が何かを信じ、すがり、赦せないことに苦しむ。
「十中八九」では、その人間たちが生きる世界そのものを、創造の物語に重ねて見つめる。
もちろん、「十中八九」は単純な希望の歌ではない。世界が創造されても、人間は愚かで、欲深く、思うように生きられない。
それでも、歌詞には明日を願う気持ちがある。
かつて「平面鏡」の呪いから「カルト」の信仰と執着へと進んだライヴが、今度は天地創造を思わせる「十中八九」へと進んでいく。
しかも、その直前には、名前のなかった公演に「美辞学」という名前が与えられている。
この並びに、単なる曲順以上のものを感じずにはいられない。
呪いの歌が消えたわけではない。その呪いとともに歩んできたReolが、今度は自分たちの物語に新しい名前を付けた。
そう考えると、2018年と2025年の「平面鏡」は、同じ曲でありながら違った始まりを告げているように見える。
呪いとじごくに向き合う物語
そして2026年の『美辞学』ツアー。
7月10日のツアーファイナルでは、「うつくしじごく」に続く2曲目として「平面鏡」が歌われた。
2018年には「平面鏡」から「カルト」へ。
2025年には「平面鏡」から「十中八九」へ。
そして2026年には、「うつくしじごく」から「平面鏡」へ。
こうして並べると、同じ曲が何度もReolの新しい物語の入口に置かれていることがわかる。
2018年の「平面鏡」は、呪いの歌でありながら、目を奪われるほど美しかった。
それから時を経て「うつくしじごく」という曲が生まれ、Reolはかつての呪いの歌を、その直後に置いて歌っている。
呪いから完全に解き放たれたから、あの頃の歌を歌えるようになったのだと、簡単には決めたくない。
むしろ、苦しさも不信も、自分の過去として引き受けながら歌い続けていることに意味があるように思う。
呪いやじごくを遠ざけるのではなく、そのただ中にある美しさを見つけていく。
あの『MADE IN FACTION』の「平面鏡」に感じた美しさは、今のReolへつながる物語の、ずっと早い段階から存在していたものだったのかもしれない。
だからこそ、「平面鏡」は単なる過去の呪いの歌では終わらない。
2018年の禍々しくも美しいステージを見返すたびに、その美しさが今の「うつくしじごく」へとつながっているように感じる。
そして、あの日の「新しい始まりの歌」という言葉が、何年もの時間を経て、また違った重みを持つようになった。
「平面鏡」を聴くことは、Reolが歩んできた呪いとじごくの物語を、もう一度たどることでもあるのだと思う。




