エンド愛した過去に打つ終止符

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「エンド」公式MVを観る

「僕を好きだと言う君が大嫌い」。

Reolの「エンド」で、とりわけ衝撃を受けた一節だ。

自分を好きだと言ってくれる相手に、なぜ「大嫌い」という言葉を向けるのか。けれど、その感情は自分にとって理解できないものではなかった。

自分のことさえ好きになれなかった頃、誰かが向けてくれる好意を素直に受け取れないことがあった。自分でさえ認められない自分を、どうしてあなたは好きだと言えるのか。その疑念が、相手への反発にまで変わってしまう。

この歌詞には、かつての自分にも覚えのある、そんな矛盾が刻まれていた。

そして、もう一つ忘れられないのが、Reol自身の葬式を描いたMVだ。

「エンド」は2018年3月14日に発売されたミニアルバム『虚構集』の1曲目。ユニットREOLの解散を経て、Reolが自分自身の過去に終止符を打つために作った曲だった。

エンドレスからエンドへ

2017年10月、REOLは発展的解散を迎えた。その最後の作品は『エンドレスEP』だった。

Reolは、自分たちの作ったものが永遠に続いてほしいという願いを込めて、その題名を付けたと語っている。そして、その流れから「エンド」という曲名が生まれた。

永遠を願った「エンドレス」から、終止符を打つ「エンド」へ。

二つの題名を並べると、その間にあった変化の大きさが見えてくる。

Reolは解散に最後まで反対していたという。ユニットとして上を目指す未来を思い描いていたからこそ、その道が途絶えたことを簡単には受け入れられなかったのだろう。

当時のインタビューで、Reolは「エンド」をソロとしての第一歩ではなく、解散したREOLに自分なりの終止符を打つための曲だと説明している。

新しく始めるための歌というより、まず終わらせるための歌だった。

失った未来をなかったことにするのではない。かつて本気で望んでいた未来を認めたうえで、その終わりを受け止めようとしているように思う。

僕を好きだと言う君が大嫌い

この一節は、前後の言葉を読むと、さらに痛ましく感じられる。

その前には、怖がらずに愛したい、疑わずに信じたいという願いが並んでいる。それなのに、次の瞬間には自分を好きだと言ってくれる相手を拒絶してしまう。

愛を求めていながら、差し出された愛を受け取れない。

この落差が強く心に残る。

Reolはオフィシャルインタビューで、この作品の「君」は自分自身でもあり、自分を取り巻く誰かでもあると説明している。

もちろん、この歌詞がReol自身の自己嫌悪をそのまま表していると断定することはできない。

ただ、「君」を自分自身にも重ねられると知ると、相手への拒絶だけでなく、好意を受け取ることのできない自分自身への苛立ちも感じられる。

嫌っているのは本当に相手なのか。それとも、その相手の言葉をどうしても信じられない自分なのか。

どちらか一方に決められないところに、この歌詞の苦しさがあると思う。

その一方で、歌詞は愛そのものを否定しきれない。

愛がまやかしなら、なぜ今も相手を求めているのか。そんな問いが続く。

信じたいのに信じられない。拒絶しているのに、なお求めてしまう。

それは単に誰かを嫌う言葉ではなく、愛したいという願いを手放せない人の言葉にも聞こえる。

大丈夫ではないまま歌う

もう一つ、この曲の苦しさをよく表しているのが「気丈な演技を磨きます」という言葉だ。

Reolはこの一節について、実際には大丈夫ではないのに、大丈夫だと言っているのだと説明している。

曲を作ったのは、REOLの解散ライヴからまだ間もない時期だった。

ユニットとしての未来を失ったばかりで、気持ちの整理もついていない。それでも、まだ何も成し遂げていないのに終わるわけにはいかない。

だから、自分を奮い立たせる言葉を歌にしたという。

強くなったから前を向けるのではない。

怖さが消えていなくても、前を向こうとするために歌っている。

歌詞に登場する「遺言」という言葉も、その状況を知ると重みが変わる。

遺言は、何かが終わるときに残される言葉だ。しかし、この曲の語り手は、すべてを諦めて言葉を残しているわけではない。

終わりを意識しながら、それでも未来へ自分の存在を残そうとしている。

終わらせるために歌いながら、歌うことで終わらないものを残そうとしている。その矛盾もまた、「エンド」という曲の切実さなのだと思う。

自分自身の葬式

「エンド」のMVに選ばれた題材は、Reol自身の葬式だった。

葬ろうとしたのは、ユニットREOLと、そのヴォーカリストであろうとした自分。

けれど、ここで大切だと思うのは、Reolが葬儀を単なる否定として捉えていなかったことだ。

Real Soundのインタビューで、Reolは弔うことを愛情のある行為として語っている。

その言葉を知ると、MVの葬式への見方が変わる。

葬るという行為は、忘れることでも、過去を消してしまうことでもない。そこに確かに存在したものを認め、見送ることでもある。

ここには、タロットカードの「死」にも通じるものを感じる。

タロットにおける「死」は、文字どおりの死だけでなく、ある段階の終わりと、その先にある変化や再生を象徴する。

ただし、「エンド」の時点ですでに再生が完成していたとは思わない。

Reol自身が、この曲はソロ活動の第一歩ではないと語っているからだ。

新しい自分へと変わるために、まず以前の自分を弔わなければならない。

終わりを受け入れること自体にも、時間が必要なのだと思う。

届かない電話

もう一つ、この曲で見逃せないのが電話の音だ。

曲中に使われている電話の音は、Reolがミトへ渡したデモの段階から入っていたという。

DI:GA ONLINEのインタビューによれば、電話をかけてもつながらない状況を、自分の訴えが届かない気持ちに重ねていた。受話器を取る音はなく、最後も通話できないことを示す音で終わる。

自分の中で何かに終止符を打つことはできるかもしれない。

けれど、その思いが相手に届くかどうかは、自分だけでは決められない。

伝えたいことがあっても、相手が受け取ってくれるとは限らない。区切りをつけたつもりでも、届かなかった言葉まで消えてくれるわけではない。

だから、この曲は綺麗な決別だけでは終わらない。

愛を疑いながらも、誰かを必要としている。その気持ちが最後まで残っている。

自分の葬式を描き、過去に終止符を打とうとしながら、その過去を愛したことまで否定してはいない。

弔うことを愛情のある行為だとReolが語った意味は、そこにあるのではないかと思う。

いつか、この苦しさが嘘になるまで

2026年の『美辞学』ツアーで、「エンドレスライン」や「エンド」が再び歌われた。

そして、同じライヴで披露されたのが「COCOON」だった。

「COCOON」は、愛する存在と過ごすことで得られる安心感や居場所を歌った曲だ。Reolは、この曲を今の自分だからこそ書けたラブソングとして発表している。

かつての「エンド」で愛を信じたいと願いながら、好意を向けられることさえ拒むような言葉を歌っていたReolが、今は愛を受け取ることを歌っている。

もちろん、歌詞の変化だけで彼女の心境のすべてがわかるわけではない。

それでも、ライヴを始めた当初は遠く感じられた客席が、今は彼女にとって安心できる場所になっているのではないか。「エンド」という苦しかった時期の曲を、再び歌えるようになったことにも、その変化が表れているのではないか。

そう気づいたとき、自然と涙が出てきた。

Reolはかつて、『虚構集』という題名に、自分が吐き出した苦しさがいつか嘘になってほしいという願いを込めたと語っている。

過去に起きたことが嘘になるわけではないし、あの頃の苦しさが存在しなかったことになるわけでもない。

けれど、今の彼女がその過去を少しずつ受け入れられるようになっているのだとしたら。

そこにリスナーの存在が少しでも力を貸せていたのだとしたら、ファンとしてこんなに嬉しいことはない。

「エンド」は、何もかも終わったから歌えた曲ではない。

まだ終わらせられない思いを抱えながら、それでも自分の手で終止符を打とうとした曲だ。

その曲を今も歌い続けていることが、過去の苦しさが未来のすべてを決めるわけではないと教えてくれるように思う。