ミッシング行き先のない逃避行
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「ミッシング」は、あれほど疾走感があるのに、どこにも辿り着いていないような感覚が印象に残る曲だ。
思い浮かぶのは、首都高の都心環状線を延々と走るタクシー。
速度を上げれば景色は次々と流れ、走行距離も嵩んでいく。それでも環状線を回り続けていれば、やがて見覚えのある景色が戻ってくる。
歌詞にも、上がり続けるタクシーメーターに自分の速度を重ねる表現がある。
どれだけ走ったのかはわかるのに、どこまで進んだのかはわからない。
いや、そもそもどこかへ辿り着こうとしていないのかもしれない。
この曲でもう一つ心に刺さるのが、「このままこのままでいたいのに」と願いながら、時と人に追い越されていく言葉だ。
居心地の良い時間ほど、嘘のようにあっという間に過ぎ去ってしまう。ずっとこのままでいたかったのに、周囲の人々も環境も変わっていき、あれよあれよという間に、それまで噛み合っていた歯車が少しずつ食い違っていく。
自分はまだここにいたいのに、世界のほうが先へ進んでしまう。
だからこそ、置いていかれまいと速度を上げているようにも感じる。
けれど、速く走ったところで、失った時間を取り戻せるわけではない。
「ミッシング」は2018年発売のミニアルバム『虚構集』に収録された、Reolが作詞・作曲し、瀬恒啓が編曲を担当した曲だ。
Reolは当時のインタビューで、この曲を現実逃避として作ったと説明している。
REOLの解散後、音楽を続けるために自ら退路を断った一方で、家に帰ると逃げ出したくなることもあったという。
その心境を知ると、環状線を走り続けるタクシーの情景が、いっそうしっくりくる。
逃げたい気持ちは本物だ。そのために走っていることも嘘ではない。
けれど、今いる世界をすべて捨てて、本当に逃げ切ろうとしているようには思えない。
走っている間だけは、目の前の現実から離れていられる。だから速度を上げる。それでも、どこかで降りるつもりはない。
そして、この曲には「四十九の遊戯」という興味深い表現も登場する。
仏教には、亡くなってから次の生へ至るまでの四十九日間を「中陰」と捉える考え方がある。四十九日目はその区切りに当たり、故人を偲ぶ法要が営まれる日でもある。
Reol自身も、この言葉には四十九日を重ねており、閉じた世界で逃れられない葛藤を描いたと話している。
ここで思い出すのが、同じ『虚構集』の冒頭に置かれた「エンド」だ。
「エンド」のMVでは、REOLとして活動していた過去の自分自身の葬式が描かれた。
そこから続く「ミッシング」に四十九日を重ねると、まるで過去の自分を葬ったあと、まだ次の世界へ進めずにいるようにも思える。
彼岸に咲く花や、二人だけの閉じた世界も、その生と死の境界をさまよう情景と重なる。
終わったはずの過去を離れられず、新しい自分として進むこともできない。
そう考えると、環状線をぐるぐる回るタクシーの姿が、もう一度浮かんでくる。
逃げるという行為を続けながら、本当には逃げようとしていない。
曲はこんなにも速く進んでいくのに、心だけが同じ場所に留まり続けている。
その奇妙な矛盾が、「ミッシング」のどうにも抜け出せない魅力なのだと思う。



