雨降りの日に聴きたいdrop pop candy

作成

MV
「drop pop candy」のMVを観る

「drop pop candy」は、低気圧で心が荒んだ日に聴きたくなる。れをるとGigaが歌を掛け合う、軽やかなポップソングだ。サイダーを飲んでいるような清涼感があって、なんだか優しくなれる気がする。

雨降りだからこその楽しさがある。「drop pop candy」には、厄介な雨まで遊び相手にしてしまう無邪気さがある。お気に入りのヒールを濡らしている姿にも、我慢や強がりより、目の前の楽しさに夢中になっている気持ちを感じる。雨に濡れる不都合が、そのまま不機嫌になる理由にはならないところがいい。 (uta-net.com)

低気圧で心が荒んだ日には、その無邪気さに惹かれる。自分なら嫌な天気だと遠ざけてしまう雨を、歌の中ではこんなにも楽しんでいる。その楽しさにつられて、うんざりしていた景色にも少し好意を向けてみたくなる。「なんだか優しくなれる」という感覚には、この曲のそんなところもつながっていると思う。

二人の掛け合いも、この曲の楽しさを作っている。サビの手前では短い言葉を交互に受け渡し、一つの文を二人でつないでいく。片方の言葉にもう片方が加わり、やがて同じ言葉を一緒に歌う。そのやり取りは、互いに弾みをつけながら駆け出す姿に重なる。明日へ向かう気持ちが、一人で歌い切るのではなく、二人の声を行き来しながら形になっているところがいい。 (joysound.com)

歌詞の景色も、足元の水たまりから、明日へ、さらに宇宙へと広がっていく。小さな一瞬への好奇心が、もっと先へ行きたい気持ちにつながっているように読める。何気ない日常から始まった歌が、いつの間にかずいぶん遠くまで連れていってくれる。その飛躍にも、この曲らしい軽やかさを感じる。 (uta-net.com)

そして、サビで愛情を向ける先には、大切な相手と日々の両方がある。「日々を君を」と並べる言葉が好きだ。誰かを想うことが、その人だけでなく、毎日の景色を好きになることにもつながっている。雨の中に見たいものがあるのと同じように、いつもの暮らしにも、心を向けたいものがあるのだと思う。 (uta-net.com)

ただ、この歌にあるのは、楽しい気持ちばかりではない。転んで起き上がる姿も、うずくまって泣く姿も歌われている。それでも日々は続き、相手を想う気持ちも続いていく。悲しいことがなくなるから毎日を好きになれる、という話ではない。うまくいかない日まで含めて日々を愛おしむ歌として聴くと、その明るさの中にある優しさが伝わってくる。 (joysound.com)

この曲から感じていた楽しさを、踊りでこれ以上ないほど鮮やかに見せてくれた作品がある。昔からニコニコ動画の踊ってみたが好きで、その中でも特別に思い出深いのが、踊り手「あまゆ」の「drop pop candy」だ。

踊ってみた
踊り手「あまゆ」の「drop pop candy」踊ってみたを観る

小雨の降る公園で、傘を持ちながらも差さず、ヒールを濡らして軽快に歩き、サビでは傘を完全に手放して踊る。雨や水たまりは背景にあるだけでなく、ステップを踏んだり、飛び跳ねたりして雨と戯れる楽しさの一部になっている。

歌詞にあるものを映すだけでなく、雨の景色へ心が動き、身体まで踊りだすところに、この曲から受け取っていたものがあった。曲の解釈をこれ以上ないほど再現していて、感動した。自分が観てきたニコニコ動画の踊ってみたの中でも、最も完成度の高い作品だと思っている。

Reolのライヴツアー「新式浪漫」で、久しぶりに「drop pop candy」が披露されたときにも、あの動画を思い出した。Reolが傘を手に、軽やかなダンスを踊っていたからだ。

もしかすると、Reolもこの踊ってみたを知っていて、参考にしたのではないか。そんなことを考えて、ひとりで勝手に盛り上がっていた。実際に参考にしたかどうかは分からない。それでも、昔から好きだった動画と目の前のライヴが、自分の中でつながったことがうれしかった。

あの動画もライヴの記憶も、今では「drop pop candy」を聴く楽しみの一部になっている。そのどちらにも重なるのが、雨を避けるより、雨と戯れたくなるような曲の軽やかさだ。れをるとGigaの掛け合いに、日々と大切な相手への愛情が乗って届いてくる。気分の晴れない日に聴きながら、目の前の景色にも、そこにいる誰かにも、もう少し優しくなれそうな気がする。